些细な事件 鲁迅

来源:百度知道 编辑:UC知道 时间:2024/06/17 02:59:26
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このことは今でもまだ时々想い出し、わたしはこれに因(よ)って时々苦痛を押し切り、つとめて自分自身に想到しようとする。几年来の文治と武力は、わたしが幼少の时読み驯れた「子曰诗云(しのたまわくしにいう)」のように、今その半句すらも谙诵(あんしょう)し得ないが、たった一つこの小さな事件だけは、いつもいつもわたしの眼の前に浮んで、时に依るとかえっていっそう明かになり、わたしをして惭愧(ざんき)せしめ、わたしをして日々に新たならしめ、同时にまたわたしの勇気と希望を増进する。
问:この些细な出来事が「たわたしの勇気と希望を増进する」のはなぜ?

寻求较专业的赏析答案,万分感谢
是用日语回答,谢谢了

在日本时,鲁迅就与好友探讨中国人的精神中最缺乏的是什么,当时他们想到的是“诚”与“爱”。多年之后,经过了寂寞的文艺运动和失望的政治运动,鲁迅对旧文化的批判以臻于娴熟,这时让他看到“新文化”真正希望的,其实还是“诚”与“爱”,于是而有《一件小事》(些细な事件)。
在《一件小事》的故事里,车夫只是一个无知无识的人,是社会上最普通的民众,可是“我”在这个车夫身上惊讶地发现了“诚”与“爱”,这两种珍贵的品质凝聚于车夫去警局自首的背影,让由失望于政治进而失望于人性的“我”警醒,以此警醒为根基,有了新的勇气和希望。
不过,后来鲁迅并没有从“人身上神的影子”这个路数来发展勇气和希望,而是走向“希望在底层”的民粹信念,虽然他始终无法真正与中国的民粹主义者达成一致,但至死也在希望与失望之间来回徘徊。