关于谷崎润一郎的阴翳礼赞的日文原文

来源:百度知道 编辑:UC知道 时间:2024/06/16 01:12:47

经过我反复查找,竟然找不到这本评论集的原文。就只有这些了

  崎润一郎
  『阴翳礼赞』
  1946 创元社・1975 中公文库

  © 中央公论新社
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  若き日の中上健次が谷崎の小说をつかまえて「物语の豚」とあしざまに言っていたことがあった。これはさすがに中上の若书きで、その后はそういうことを言わなくなった。
  だいたい谷崎润一郎は、业界では“大谷崎”などと言われて、长きにわたって超越的な扱いをうけてきた。谷崎もそのうえにふんぞりかえるところがあって、たとえば川端などとはずいぶん処世のちがいを见せつけたものだった。
  しかも中上健次が登场してきたころは、谁も谷崎などを论じる者がいなくなっていた。とくにフランス现代思想を少しでも啮った者には、谷崎の业绩は「物语の豚」の一言で片付けられてもしょうがない雰囲気もあった。当时は「大いなる物语の终焉」というポストモダン思想こそが流行していたからだ。

  ぼくはどうかというと、実は谷崎にゆっくり取り组んだことがない。
  嫌いなのではない。けっこう好きなのである。いつかそういうことをしようとおもっているのであって、敬远しているわけでもない。
  とくに『小僧の梦』『二人の稚児』『小さな王国』ときて『母を恋ふる记』『少将滋干の母』とつづいていく少年记にはもともと感叹するものがあり、その一方で、『刺青』『春琴抄』『痴人の爱』から『键』『疯癫老人日记』におよぶ耽美的系谱にはつねに异様に惹かれるものがあったので、いつかこの二つをつなげて考えてみたいともおもってきた。が、なかなかその気分になれないでいる。
  最近、中公文库が「润一郎ラビリンス」と铭打って、谷崎の短编中编を主题别に编集したものが10册ほど出てきたので、これさいわいと、ときおり日曜日などにひっくりかえってそれを摘まんで読んでいると、これまで见えなかった谷崎がいろいろ见えてきて、それもまたひっかかってくるのであった。
  そんなわけなので、この「千夜千册」にはぜひ谷崎の代表作をひとつ入れる必要があるのだ