求《好きな町》的日语作文

来源:百度知道 编辑:UC知道 时间:2024/06/01 16:58:00
求一篇日语作文,很急,今天就要用的。跪求了……希望楼下的顶上来……
要求是中国的城市啊……下面的那个是日本的,而且还全是介绍,没有起到作文的效果啊……

以前に一度読んだ。何度読んでも面白い。私も上海、苏州、杭州は好きな町。
特に杭州、西湖、白堤、苏堤は忘れ难い。ところがどうしたことか、この纪行には西湖に浮ぶ柳并木が素晴らしい白堤・苏堤の描写はどこにもない。残念に思う。きっと访问した季节が良くなかったかも知れない。

思い出せば、自分が始めて江南の地を访れたのは5月の初めだった。丁度柳が目を吹いて、风にのった柳の芽が真っ白な大きな玉となって、道を踊りながら走り去っていく春のひとこまは、今も懐かしく思い出す。柳の芽の白い玉、これは中国の春の素晴らしい辉きだった。

上海と苏州、あんなに2つの都市は近いのに、语られている言叶は全然ちがう。苏州の言叶を若い娘さんが话しているのを闻いていると、まるでささやくが如くという柔らかい印象。苏州は美人が多い。司马さんに言わせると、美人は本人の自覚から始るそうだ。

司马さんは、次々と兴味ある话题が飞び出してくる。日本に汉字が入ってきた最初は呉音だったそうだ。六朝文化は百済を通り日本に伝わった。最初は百済を通じて、呉音を教わった。倭も百済も中原江南に风流を学んだ。

やがて六朝が灭び、隋、唐帝国が兴り、日本は长安から汉音を学ぶ。正月は呉音、正义は汉音である。日本では同じ正の字でも、音と训の违いを使い分けている。

福建人を远距离交易に巻き込んだのはアラビア人だろうと司马さんは推定する。苏州から福建人によって运ばれた绢织物がアラビア人によって西洋に运ばれた。この流れは陆に替って、海のシルクロードとなる。日本も律令制度の时代、官位のステータスとして、锦官服を大量に必要とした。当时、中国から大量の绢织物を输入した。

苏州は科挙全国最高得点者即ち状元が多く出たそうだ。この事実は、すそ野には膨大な知识层が学んでいたことを実证する。明朝灭亡に际して随分と多くの明人が日本国徳川幕府に亡命してきた。儒学者朱舜水、黄檗宗隠元そして岩国锦帯桥を设计した独立もそうだ。日本は亡命者に好意的だった。

话はまだまだどんどん広がり深まっていく。これが司马さん街道をゆくを読む醍醐味である。

私の好きな町は东京です。