鸭长明和吉田兼好

来源:百度知道 编辑:UC知道 时间:2024/06/05 13:45:21
请高人指点:
这两大师的生平是怎样的呢?作品(最好是全部)有哪些?<方丈记>和<徒然草>就不用说了:)
谢谢~~!!

可以用日语吗?

鸭 长明(かもの ちょうめい、1155年(久寿2年) - 1216年7月26日(建保4年闰6月10日))は、平安时代末期から镰仓时代にかけての日本の歌人、随笔家である。俗名はかものながあきら。

贺茂御祖神社の神事を统率する鸭长継の次男として生まれた。俊恵の门下に学び、歌人としても活跃した。望んでいた河合社(ただすのやしろ)の祢宜(ねぎ)の地位につくことが叶わず、神职としての出世の道を闭ざされた。后に出家して莲胤(れんいん)を名乗ったが、一般には俗名を音読みした鸭长明(ちょうめい)として知られている。

出家の后、1212年に成立した『方丈记』は和汉混淆文による文芸の祖、日本の三大随笔の一つとして名高い。他に同时期に书かれた歌论书の『无名抄』、说话の『発心集』(1216年以前)、歌集として『鸭长明集』(养和元年 1181年)といった作品がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E9%95%B7%E6%98%8E

吉田 兼好(よしだ けんこう、弘安6年(1283年) - 観応元年/正平5年4月8日(1350年5月14日)?)は、镰仓时代から南北朝时代の随笔家・歌人である。本名は卜部兼好(うらべ かねよし/うらべ・の・かねよし)。兼好法师(けんこうほうし)とも呼ばれる。吉田神社に関系があったことから吉田兼好と通称されることが多いが、地名を用いた呼び名のため嫌う学者もいる。没年には文和元年/正平7年(1352年)说もある。

卜部氏は古代より卜占を司り、神只官を出す神职の家で、兼好の父も吉田神社の神职であった。后宇多院に北面の武士として仕え、従五位下左兵卫佐まで上ったが、上皇の死后、出家して兼好(けんこう)を名乗った。 镰仓に2回は访问滞在したことが知られ、镰仓幕府の御家人で后に执権となる金沢贞顕と亲しくしている。その时、现在の神奈川