抗议する义务について短文を訳してお愿いします。

来源:百度知道 编辑:UC知道 时间:2024/06/05 05:06:05
「日本人は、抗议する义务を知らない。」と言った友人があった。何か不正なことがあった场合に、それに抗议するのは、権利でなくて、义务だと言うのである。これは、なかなか味のある言叶である。
例えば、电车に乗る场合に、乗客が长い列を作って待っている。やっと电车が来て、乗客が顺々に乗り込む。その时、わきからその列に割り込んで、电车に乗ってしまう人がよくある。そういう时、自分の前に、わきから一人くらい割り込んできてもちょっと嫌い颜をするくらいで、そのまま黙认してしまうことがある。
こういう场合は、「横から割り込まないでください。」と抗议を申し込むべきである・それを、何も言わずにゆるしてしまうことは、一つの道徳的な罪悪であるを、よく承知すべきである。一人くらいのことに、むやみとやかましく言うことを何となく耻ずかしいように考えるのは、大変な间违いだ。これは、耻ずかしいなどと言う问题ではない。実は、非常に利己的な考えがその人の心の底に意识されないで潜んでいるのである。
というのは、わきから谁かが割り込んできても、黙认してしまうのは、自分もその人について电车に乗り込めることが明白な场合に限るからである。もし、その人が乗ることによって、自分が乗れなくなる场合だったら、必ず抗议を申し込むに违いない。それを、そのまま黙っているのは、被害が自分におよばないからである。しかし、そのために、谁か、后ろの方で取り残される人が出てくるかもしれない。そうすると、その人は、次の电车まで长い间待たなければならないのである。
したがって、この场合、抗议することは権利というよりも、うしろ义务である。正直に公众道徳を守って、列の最后の方についている未知の一人の友人に対して、当然果たさなければならない义务なのである。
列の中に割り込むというような、明白に悪いことに対してはもちろんのこと、それほどはっきりしていない场合にも、自分で正当と考えた抗议は、平気ですればよいのである。もし、先方に理屈があり、または、何か事情があったら、返答があるはずである。その返答が、なるほどと纳得できたら、抗议を引っ込めたらよい。それば、きわめて当然の话である。
筋が通った话には纳得するということと、筋の通らない话には抗议することとは、同じ头の作用の両面で

曾经有朋友说,“日本人不知道抗议是义务。”在不法事情发生的场合,对之抗议不是权力而是义务。总觉得这是另有含义的话。
举个例子来说,在乘地铁时,乘客排着长队等待 。终于地铁来了,乘客们按顺序上车,在那时,从旁边插队乘车的人也有很多。那个时候,如果自己前面即使只有一个人插队,也会感觉不爽,但是就这样保持沉默的人也是有的。
这种情况下,应该提出抗议:“请不要从旁边插队。”应该知道对这种事默许是道德的罪恶。“过分啰嗦的说一个人,总觉得不好意思。”抱有这种想法的人是大错特错了,这不是不好意思之类的问题。实际上是这个人潜意识里非常利己的想法的展现。
换句话说,无论是谁从旁插队,对此能够容忍的人,自己也会在公共场合跟着那个人一起插队。如果遇到了那个人乘上去了而自己不能乘坐的情况的话,一定会提出抗议。自己不被殃及,就会对此保持沉默,但是,排在后面的某个人也许就会因此乘不上地铁。如果那样做的话,那个人就不得不为了下一班地铁而等上一段很长的时间。
因此,在这种场合,抗议就不是权力而是义务。对于诚实地遵守公共道德,排在队伍的最后排队的那个朋友来说,也是理所当然的义务。
对于像插队这样明显不好的事情和那些没这么明显的场合时,由自己出于正义的抗议,冷静的说出来就好了,如果,对方有理由,或者,遇到了什么事情,会跟你说的。如果理由能够接受,收回抗议就行。这是相当正常的事。
接受有道理的事情,抗议没道理的事情,同样的是靠头脑来决定的。所以,不抗议的人即使面对真实,也不会打心底接受和理解的。

ジャ、いただきます。本当にありがとうございます。